宮城県石巻市渡波町支援初日。

昨日のブログが説明用のブログだったので、昨日の流れから。

ボランティア休暇を取得した金曜日、朝から書類を持って郵便局にボランティア保険のお金を振り込みに行き、渋谷にてボランティア保険に入る。その後、ハンズで最終的な買い物をして、プリウスを二台レンタル。自宅付近の駐車場に二台を止めて皆を待つ。

23時に全員が須田家に集合して、一路宮城県へ。

東北道を北上する途中、まさかの福島西で事故による通行止めで降ろされる。次のインターまで下道を走って又東北道へ。

最後のPAで朝ご飯でも食べようと思ったら、仮設トイレ以外何も無かった。トランクは完全に満タンです。

古川インターを降りて一番最初のセブンイレブン。

ドリンクの棚も殆ど入っていない。

カップラーメンもこれだけ。

ボランティアは基本的に、現地での食料は調達しないルール。その意味を最初のセブンイレブンで良く知ったよ。

インターを降りて10分ほど走ってボランティアビレッジに到着。ここがこの二日間のベースになります。

メンバーは6時起床で7時出発。6時半くらいから配車割をします。担当は基本前日のミーティングで決まってるみたい。

ボランティアビレッジから1時間くらい走って支援場所である石巻市役所 渡波支所へ。

うちらが参加した団体は、オンザロードというNPO。代表が高橋歩くん。こういう張り紙をして、被災者の方からのニーズに応える。

ニーズ表はこういう紙。市役所に来て貰って書いて貰ったり、偶然現地で会った方で、タイミングが合ったら現地で書いて貰ったりした。

ホワイトボードにお名前と希望時間と依頼された作業内容を書いて、リーダーに渡す。これをうけたリーダーが、その場でメンバーを決めて支援活動をする流れ。

というわけで、初日のボランティア活動が始まります。

一番最初の依頼は、倉庫の中身を全部出して倉庫が使えるようにする事。隣の家には船とトラックが突っ込んでいて、ここも塀が倒れていた。バケツリレーで10人体制で30分ほどで作業完了。これを、お母さんとおばあちゃん二人でやっていたら果てしない作業だったと思う。

二軒目の依頼は、結構内陸の方に車で走った所にあるお家。畳とタンスや食器棚の撤去。出した畳の裏にある家の壁に引かれたラインがみえるかとおもうけど、これが津波の後。内陸でもお腹の高さくらいまで津波が来ていたという事。

三軒目の依頼は、渡波支所の裏にある一軒家。このお家も水浸しになってしまった家財の搬出。胸より上まで津波が来ていた。

四軒目の依頼に至っては、頭よりも高い位置まで津波が。二階に逃げてなかったら絶対助かってなかった。ここは一階を埋め尽くした土砂を外にすてる作業も。

大の大人4人がかりで20分以上かかった。もう単純な肉体労働。

初日最後の依頼は、家一階全部の作業。お風呂場やきっちんの物を外にだしたり、ガレージのがれきを捨てたりと。津波の威力で電信柱に巻き付いてしまった鉄板。

全く海も見えない場所で魚が死んでいた。本当にここまで波が来たんだね。

この道は、左からと右からの波がココで合流してしまい、車がふっとんで家に建てかかっていた。

基本道はこういう車やらがれきやらの壁が出来ている。こういう壁の間を走って依頼者のところへ移動する。

勿論、半壊や全壊している家も沢山。この家は壁が全部無くなっていた。

初日は9時過ぎから17時半までたっぷり動いて5軒。たった5軒。それでも、信じられないほど感謝されたし、人生で初めて神様みたいだと言われた。5軒中、ご家族を亡くされた方は3軒。それでも、全員が事実を全部受け止めた上で明日に向かって動き始めている。絶望の先には生きるしかないという区切りと覚悟しかないんだって。明日を向いて動いている人達は本当に強い。強かった。

ビレッジに戻った後は、皆で夕食。

そしてすげー真面目な全員ミーティング。本当に皆真剣。

ミーティング後、本当に意識を失うようにして就寝。ミーティング終了後すぐに寝たとしても5時間しか寝れないスケジュール。

Diary | 2011-04-16 | パーマリンク | コメント(0)

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すだっち 現在楽器メーカーに勤めながら、日々ダイエットに勤しんでいる須田英之です。詳しくはプロフィールで!

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