虚勢、見栄、知ったかで得たモノは偽物でしかない。

少なからず私は虚勢を張ったり、見栄を張ったりしている。なるべく素直に格好付けず話をしようとは思っていても、とっさの判断では格好付けてしまうのが私だ。まだまだ弱い。
今日もSoulSwitch Projectのスタッフと夜通しミーティング。結局最後のジョナサンを出たのが午前4時。それでも本当に実が詰まった会話が出来た。最後まで話をしたデザイナーは同じバンドでベースとサックスの関係だし、実は私のプライベートな相談をフラットに受けてくれるお兄ちゃんみたいな存在だ。ライブの機材片付けとか、まあ損な役回りをいつも私と二人でやる感じと言えば分かるだろうか。
その彼が、子供を授かった。それがきっかけの一つだとずっと言っていたけど、出会った頃の彼とは違い一つ一つの言葉に重みが有った。
前のエントリーで言葉は発した瞬間から責任が伴うというエントリーを書いたけど、彼は子供と対峙してから自分の言動ないし全ての行動を子供という鏡を通して見ることで、自分自身の存在に対する責任の重さを感じ、色々考えたと言っていた。その自分自身に対する再定義というか再確認のプロセスを経た彼が発する言葉は、今の彼のありのままの言葉なんだと思う。だから強い。少なくとも私には強かった。
ありのままの自分でいいじゃんってちまたに溢れかえってる言葉だけど、実際本当にありのままの自分を表現できるには、自分自身をきちんと見つめ直さなくちゃいけない訳で、そのプロセスは本気で自分自身と対峙すればするほど沢山の葛藤と反省に溢れた時間になるのが殆どだと思う。
なんで、虚勢を張ったり見栄を張ったりするのかって、虚勢の裏側にある自分自身に対するコンプレックスなんだろうけど、そこを克服するために必要な作用は、第三者から得られるモノではなくて、自分自身の力だけで最後は乗り越えなくちゃいけないわけだ。
結局、虚勢を張ったところで大体はその場で分かる相手には分かっちゃうし、仮にその場はやり過ごせても永続的に虚勢は続かないもんで、相手の気持ちはやがて離れていってしまう。その相手が、他人ではなく自分の子供だとしたらなおさらありのままの自分を見せなくてはいけない。それに気付いた彼の言動は、ひとつひとつの言葉にパワーがあった。
子供に対して、どれだけありのままの自分を見せられるか。それは今後の私の人生に於いて、とても大きな課題だと思う。ありのままの自分が恥ずかしくない、むしろ格好良いと思えるまで、妥協無く人生を過ごすのが一番の対策だけどね。
はい、そこ。子供の前に相手はとか突っ込まないように。

Diary | 2006-10-16 | パーマリンク | コメント(0)

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すだっち 現在楽器メーカーに勤めながら、日々ダイエットに勤しんでいる須田英之です。詳しくはプロフィールで!

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